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母の遺言書の検認手続

実家を離れてから10年。
その日は突然やってきた。
一人で住んでいた母が亡くなった。
母と同居している兄から、深夜連絡があった。
電話の後は眠れなかった。
寝不足で頭が働かない中、旅行鞄に喪服と数珠を入れて、東京駅から始発の新幹線に乗った。
兄から聞いた話では、くも膜下出血でほぼ即死だったということだ。
父は私が実家を出て1年後に亡くなったが、母は父の死後、大きく落ち込むこともなく、庭にバラをたくさん植えて、きれいに咲かせたり、ボランティアをしたり、はつらつと暮らしていた。
ひざが痛む等の年相応の不調はあったものの、基本的には病気とは無縁の人だった。
私が帰省するのは、盆暮れくらいだったが、1週間に1、2回は電話で連絡をとっていた。
最後に母の声を聞いたのは、死ぬ3日前。
「今年のお節は、丹波の黒豆を取り寄せて煮ようと思う。楽しみにしていてね。」母はそんな話をしていた。
「もう母の黒豆煮は食べられないのだな。」、そんなことを考えているうちに、うとうとしてしまい、気付いたら、実家の最寄りの駅に着いた。
仏間に寝かされた母の顔は穏やかだった。
不思議なことに、あまり涙は出なかった。
バタバタと兄のお嫁さんと仮通夜の準備をし、お坊さんにお経を読んでもらい、お参りに来てくれた親戚やご近所さんを見送った。
仮通夜後、実家には、兄と兄のお嫁さん、私だけが残り、お嫁さんが出してくれたビールをちびちび飲んでいると、兄が、1通の封筒を出してきた。
封筒には、母の字で、「遺言書」と書いてあった。
封がしてあったので、中身は見られない。
封筒の裏面に付箋が貼ってあって、「裁判所で検認するように」と書いてある。
兄は、「よくわからないけど、落ち着いたら、弁護士の友達に検認のことを聞いとくよ」といった。
母の残した遺産は、実家の土地建物といくばくの預貯金だろう。
実家は兄が住んでいるし、貯金額も葬儀費用が賄えるかどうか、というところだろうから特に興味はなかった。
葬儀後東京に戻ると仕事に忙殺され、遺言書のことを思い出すことはなかった。
四十九日法要の数日前、兄から電話があり、家庭裁判所に検認の申し立てを行った、法要の翌日に検認手続があるので、出席してほしい、ということだった。
検認手続当日、初めて家庭裁判所の中に入った。
出席者は、兄と私だけである。
裁判官という人を初めて見たが、その辺のサラリーマンと変わらない気がした。
裁判官が、遺言書を開封し、穏やかな声で読み上げた。
一、実家の土地、建物が兄が相続する。
二、葬儀費用を除く預貯金、株式その他有価証券は私が相続する。
三、それ以外の財産は私が相続する。
こんな内容だった。
「株式その他有価証券」という言葉を聞いて、不審に思った。
母が株をやっていたなんて聞いたことがない。
その後、実家に戻って兄に確認すると、証券会社の書類を見せてくれた。
ぱっと見たところ、それなりの金額だった。
もしかしたら実家の土地の値段くらいになるかもしれない。
「おふくろが株をやってたのは知ってたよ。独身のときの貯金とか、へそくりを使ってたんじゃないかな。」「おふくろは、お前に、何か残したかったんだろうな。
お前には家を残せないから。」「俺たちが小さいころ、おやつでも何でも、二人できちんとはんぶんこしなさい、っておふくろ言ってただろう。
遺産もはんぶんこできるようにしたかったんじゃないか。」「俺たちが揉めないように、遺言書を書いたんだろうな。
その後の手続きの心配までしてさ、さすがだよな。」兄は、話しながらないていた。
私も気付くと、泣いていた。
遺産を相続したことより、母の気遣いがありがたく、泣けた。

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